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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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おとといのつづき。

朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿

やなせ宿から乱歩が消えたとなると、いったいどういうことになるのか。どういったことにもならない。どうにかなったほうがいいのだが、遺憾ながらどうにもならないという困ったことになる。

かりに、誰かがはじめて名張のまちを訪れたとする。江戸川乱歩に興味をもっている人である。近鉄名張駅の西口から外に出て、まちなか散策としゃれこむ。乱歩生誕地碑はどこにあるのか。目についた商店で道順を尋ね、てくてくと歩いてゆく。細い路地に入ってさらに進むと、木造住宅が低い軒をつらねた一廓になんだか不自然な印象の広場があって、そこにぽつんと生誕地碑が建っている。広場には案内板やモニュメントも設置されているが、ただそれだけのことである。

なんだこれは、と思いながら新町の通りに出てみる。やなせ宿というのが目に入る。どうやら観光交流施設らしい。「地域の案内パンフレットや散策地図」が置かれていて、「旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場」になっているらしい。「史料の展示など」があったり、「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」こともあったりするらしいのだが、どこにも乱歩が見あたらない。なんだこれは、と思う。おかしいではないか。

やなせ宿は名張市の新町にある。新町といえば江戸川乱歩が生まれた町である。その新町に観光交流のための公共施設があるというのに、乱歩の姿はどこにもない。そのやなせ宿で問い合わせると、乱歩の関連資料は市立図書館に展示されているという。道順を教えてもらって足を運ぶ。まちなか散策の動線からは大きくはずれ、年配層にはやや骨の折れる急な坂道を登った先が図書館である。たしかに乱歩の遺品や著書を展示したコーナーはあるのだが、乱歩のことを質問しても何もわからない。答えられるスタッフがひとりもいない。

乱歩が生まれた名張のまちを訪れたその人は、名張ってのは何を考えているのだ、と思うことになる。首をかしげるはずである。しかし残念なことに、名張ってのは何も考えない。考えようとしない。考える能力がない。いったい何をお考えなのであろうか、何かを考えることがおできになるのであろうか、といった疑問を抱かせるのは、何も名張まちなか再生委員会やまちなか運営協議会にかぎった話ではないのである。名張市そのものがそうなのである。

むろん、乱歩のことをまったく知らない、というわけではない。なんとかしたいとは思っている。名張のまちのために乱歩をなんとか利用したいとは思っている。

3月16日:市議会の乱歩 2007

たとえば、昨年6月の定例会における発言。

   
P.20 ◆ 議員(柳生大輔)

乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます。

奇矯な発言ではない。ごく当然の指摘というべきだろう。にもかかわらず、一年もたたぬあいだに、名張まちなかの再生というテーマから乱歩というモチーフが消失してしまった。ろくに乱歩作品を読もうとせず、乱歩のことを知ろうともしないような連中が何十人何百人と集まったところで、乱歩にかんして何かを考えるなどということは絶対にできない。結局はそういうことである。

おなじく昨年6月の定例会から。

   
P.46 ◎ 市長(亀井利克)

乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。

   
P.133 ◎ 市長(亀井利克)

ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。

しかし、乱歩は消えてしまった。「いただいてあるミステリー本」や「乱歩のゆかりのもの」はどうなるのか。「展示する場所」はどうするのか。明確なところは何もわからない。誰も説明することができない。誰にも考えることができない。乱歩はどうして消えたのか。誰が乱歩を消したのか。さーあ、どうする。
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改修工事が終了して、そろそろ新聞で報じられる時節とはなった。きのうは朝日新聞。

朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿

2月6日には毎日新聞で報じられた。すでに削除されているが、これがその記事。

毎日新聞:やなせ宿:旧細川邸改修概要 観光情報発信や交流スペース設置--名張 /三重

ほぼ一か月をへだてたふたつの記事を読みくらべると、あることに気づかされる。乱歩の名前が消えてしまったことである。

2月6日の毎日の記事には、こんなくだりがあった。

   
一方、川蔵は同市出身のミステリー作家、江戸川乱歩に関連する施設にすることなどが検討されていたが、現在具体的な活用法は未定。再生委員会での協議が続いており、市は「遅くても3月には利用法を決めたい」と話している。

ところが、きのうの朝日の記事には、乱歩の名はみえない。

   
開館時間は午前9時から午後10時。地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする。史料の展示などに活用するほか、展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す。

市は経費全額を負担せず、日常の管理や企画運営は民間にゆだねる方針。今年度は市中心部の活性化策を検討している官民合同の組織「名張まちなか再生委員会」内に設けられた「まちなか運営協議会」が管理運営に当たる。来年度からは指定管理者制度を導入し、管理者を公募する。

名張まちなか再生委員会の田畑純也委員長は「収益をどう上げるかも考えないといけない。待っているのではなく、宣伝に攻めていきたい」と話す。地元の文化団体や高校などに働きかけ、催しや日頃の活動での利用を呼びかけている。地元の食材を用いた弁当の販売や青空市などの集客策も検討している。

なんともなさけないことである。やなせ宿はどのように運営されるのか。

「地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする」

「史料の展示などに活用する」

「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」

いやはや、6月のオープンまであと二か月という時期にいたって、まだこんなことしかいえないのである。なんの根拠も成算もなく、うわっつらだけの思いつきを並べることしかできないのである。なさけないことである。恐れ入った話である。朝日の記事によれば「総工費約1億518万円」とのことであるが、血税一億円もかけて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館つくってんじゃねーぞたこ、という話なのである。ほんとうにそういう話でしかないのである。

ここまで来たのだからもう名張市も、なんの役にも立たぬ名張まちなか再生委員会なんかとはすっぱり縁を切ってしまい、仕切り直しを図ってあらためて善後策を講じるべきではないかと判断される次第なのであるが、そんな気のきいた真似のできる柔軟性は望むべくもない。素直にあやまちを認めることなどいっさいせず、すべての批判に耳をとざしてこのまま突っ走ってしまうしかないのであろうが、そのことはきょうの本題ではない。

きょうの本題は、乱歩の名前がとうとう消えてしまったということである。細川邸改めやなせ宿の運営を語る場において、乱歩の名が語られなくなったということである。これはまずい。あきらかにまずい。信じられぬくらいまずいことである。

名張まちなかのとある商業者、かりにAさんとしておくが、そのAさんからお聞きした話である。よその土地から名張を訪れて、まちなかの散策を楽しむ人というのが、とくに気候のいいころにはぽつぽつとあって、道を尋ねるためにAさんの店ののれんをくぐることもあるらしい。Aさんによれば、そのうちの八割ほどは、乱歩生誕地碑への道順を尋ねる人であるという。

それはそうかもしれない。名張まちなかというのは、とりたててこれといったスポットがあるところではない。古いまちなみそのものにそれなりの風情があって、しいてあげるなら新町に江戸川乱歩が生まれた場所がある、といったまちなのである。つまり乱歩は、むろんささやかなものではあるけれど、名張まちなかの観光という観点からみた場合、あだやおろそかにするべき素材ではないのである。

その新町に建つ細川邸をやなせ宿として整備し、朝日新聞の記事によれば「旧市街地の活性化に向け、観光交流の拠点」として運営を進めるというのだから、乱歩という素材はおおいに活用されるべきであろう。しかし、名前が出てこない。とうとう消えてしまった。あの名張まちなか再生プランという名のインチキにさえ、細川邸整備にかんして「市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と乱歩の名がみえていたというのに、それが忍者のごとく消えてしまったのである。ニンニン。

名張まちなか再生委員会内に設けられたまちなか運営協議会は、いったい何をお考えなのであろうか。何かを考えることがおできになるのであろうか。ニンニン。
名張市
朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿
毎日新聞:滝見弁当:環境に優しい竹製箱、回収で特典も--赤目観光協会加盟 /三重
毎日新聞:暫定税率:失効 24路線の整備事業凍結 名張市長、国の対応批判 /三重

伊賀市
産経新聞:県サッカー協会:伊賀で総会 「伊賀FCくノ一」など表彰 /三重
産経新聞:“回らぬ風車”が強風で落下 和解協議への影響必至 茨城(茨城)
毎日新聞:伊賀市:国保税、942人天引き出来ず 市の委託業者ミス、窓口支払いへ /三重
毎日新聞:伊賀市:市長と住民直接対話、懇談会スタート 予算概要など説明 /三重
毎日新聞:暫定税率:失効 伊賀市長、事業の執行抑制を指示 /三重
中日新聞:障害者就労を支援 伊賀市馬田に工房オープン
伊勢新聞:国保税 942世帯年金天引きできず 伊賀市、データ読み飛ばす
建設業界ニュース中部版:伊賀市は河合団地2期工事を4月中にも発注

三重県
毎日新聞:労働審判:退職強要「解雇に合理性ない」 会社側に200万円支払命令 /三重
毎日新聞:春の園遊会:招待者 /三重
読売新聞:782人夢に向かって 皇学館大で入学式
読売新聞:「期限切れ食材」内部告発 調理師の解雇無効(中部発)
伊勢新聞:水谷県議が一人会派届け出 自民クラブ
名張市
毎日新聞:コミュニティーバス:錦生地区と青蓮寺・百合が丘地区で出発式、住民ら祝う /三重
毎日新聞:名張市:亀井市長「市民活動にも参加を」 新職員22人に辞令、激励 /三重
毎日新聞:家庭ごみ収集有料化:名張でスタート 先週に比べほぼ半減「一定の減量効果」 /三重

伊賀市
毎日新聞:講演会:東大寺・狭川長老、伊賀の歴史で熱弁 正月堂・黒田庄、かかわり深く /三重
毎日新聞:伊賀鉄道:初の総合訓練実施 「乗客」を誘導、消火--伊賀 /三重
毎日新聞:忍者マンガ展:懐かしい150点 永井さん所蔵、貴重な作品 伊賀で来月まで /三重
毎日新聞:伊賀市:新規採用職員、決意新た「公務は公正」 今岡市長が辞令 /三重
中日新聞:街中“忍び”だらけ… 伊賀で忍者フェスタ開幕
伊勢新聞:街中に忍者いっぱい 伊賀 NINJAフェスタ開幕

三重県
朝日新聞:「2030年 人口1割減少」
毎日新聞:県議会:新会派を断念 /三重
中日新聞:ガソリンめぐり攻防 暫定税率期限切れ、初日の各地光景
中日新聞:市民病院に研修医採用 桑名市長が森さんら激励
中日新聞:水谷県議が1人会派へ 自民・無所属議員団を離脱
伊勢新聞:県議会 新会派結成は破たん 中森、青木両議員が翻意
4月2日、新年度の二日目である。

おととい、平成19・2007年度最後の日の江戸川乱歩生誕地碑広場予定地をながめてきた。桝田院第二病棟は取り壊され、むきだしになった地面に水たまりがひろがっていた。

20080402a.jpg

画面左にみえるのが生誕地碑。手前にあるのが新たに設置された案内板。接近して正面から撮影するとこうなる。

20080402b.jpg

おとといの時点ではこのとおり目隠しされていたのだが、新年度を迎えてお披露目されたのだろう。きのうの毎日新聞で報じられていた。

毎日新聞:観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)

名張まちなか再生事業の一環として、「公共サイン」とかいうもっともらしい名称で設置された案内板である。中学生諸君にはすまないが、生誕地碑広場に立てられる案内板の原案を一瞥する機会があったとき、中学生がつくった壁新聞みたいだとの感想を抱いたことは以前にも記した。

2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板

それにしても、案内板四基の設置費が849万0300円、毎日新聞によれば、これに「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)」をあわせると計1080万円の整備費を要したということなのだが、大枚をはたいたわりにはこの案内板、どうにもしょぼい印象である。

しょぼいしょぼくない以前の問題として、まだ更地に戻っただけでどんな整備もなされていない土地の一角に、はやばやと案内板だけがお目見えする結果となったおそまつさはいかがなものであろうか。いかがもたこがもあるものか。なーにばかなことやってんだ低能ども、というしかないではないかいな。

また近いうち、目隠しがはずされた案内板をあらためて撮影して、血も涙もない批判を加えることにしたい。なにしろこちとら、3月31日で名張市立図書館との縁が切れた身である。俗にいうところの、虎に翼を着けて放てり、みたいな状態なのである。容赦仮借もあらばこそ、ばんばんかましてやろうとぞ思う。とは思うのだが、あほらしくって何をいう気にもなれぬということになる可能性もないではない。というか、結構ある。

ついでながら記しておくと、これまでの十二年六か月、つまり平成7・1995年10月に名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託となって以来、ふりかえってみれば短くない期間にわたって名張市民から雇っていただけたこと、すなわち市民の血税から月ほぼ八万円の手当てをいただきながら乱歩にかんする仕事に携われたことは、得がたい幸福であったというほかない。市民各位にたいし、ここに心からなる謝意を表しておく次第である。
4月1日、新年度のはじまりである。

きのう、平成19・2007年度最後の日の細川邸改めやなせ宿をながめてきた。整備工事を終えて、ずいぶんきれいになっていた。

20080401a.jpg

こんな立て札も設置されていた。

20080401b.jpg

新設された便所がこれである。威容と呼んでいいほどの風情である。

20080401c.jpg

だがそれにしても、これはいったいなんのための施設であるのか、だれが望んだものであるのか、そういった点は新年度を迎えても依然として不明のままである。

ただしひとつだけ、どなたが立派な公衆便所をお望みであったのかは判明している。3月12日付エントリ「市議会の細川邸 2004」に引いたものだが、名張市議会の会議録から再度引用しておく。平成16・2004年の12月定例会における発言。

   
P.70 ◆ 議員(福田博行)

今言うた細川邸も改修を考えていると私は聞かせてもろてるんですけども、その折には観光客なりが利用しやすいちょっと大き目のええトイレつくってもらいたいと思ってます。

ムダニリツパナコウシユウベンジヨノカンセイヲオヨロコビモウシアゲマス、と祝電のひとつもお出ししておくべきであろうか。

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