三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張まちなか再生委員会について、さらにいささかを述べる。
昨年6月6日に開かれた名張まちなか再生委員会の第四回理事会で、まちなか運営協議会にかんするインチキを暴き立ててやったところ、再生委員会がぐだぐだになってしまった、ということはすでに記した。
そのせいで問題がそれ以上の進展をみることはなかったのだが、そのあとの流れとしては、委員会が行政サイドの見解を求める、ということになっていたはずである。
より具体的にいえば、名張市長の判断や裁定を求める、ということである。
名張まちなか再生委員会の一部の委員が、正当ではない手段で旧細川邸やなせ宿を手中にした。
まちなか再生事業の最高責任者として、この事態をどう理解し、どう判断し、どのような裁定をくだすのか、委員会は市長にそれを問うべきであった。
その場合、名張市が逃げを打つことはできない、といったことも9月24日の臨時総会で発言しておいた。
名張市はおそらく、逃げ道を求めて、まちなか運営協議会が正式に発足していないというのは、あくまでも名張まちなか再生委員会の内部事情にすぎない、と主張するはずである。
いやいや、こんなことを主張して逃げを打つだけの知恵さえ、名張市にはないかもしれない。
しかし、逃げ道を探すとしたら、まずはそのあたりになるはずである。
再生委員会のお家の事情は、名張市には関係がない。
名張市はあくまでも、名張まちなか再生委員会が新たにまちなか運営協議会という組織を発足させ、この協議会に旧細川邸やなせ宿の管理運営を担当させます、と申し出てきたから、それに従ったまでである。
名張市の逃げは、たぶんそういったところになるだろう。
しかし、無理である。
なぜか。
まちなか運営協議会が発足した、という虚偽を押し通すための実務は、名張まちなか再生委員会の事務局を担当していた名張市の職員によって進められていたからである。
名張市はすべてを知っていた、ということになる。
全体の奉仕者たるべき公務員が、一部の委員の手先になるってのはどうよ、ということになる。
名張市には、知らぬ存ぜぬを通すことなど、とてもできない。
というところまで、臨時総会でしゃべった。
本来であれば、というのは、名張まちなか再生委員会があそこまで一気にぐだぐだになってしまわず、名張市が再生委員会から引くという最悪の選択にもいたらなかったとしたら、という意味であるが、まちなか再生事業最大のインチキにどう対処するのか、再生委員会として市長見解の提示を要求すべきであると、おれは理事会の席で提案するつもりであった。
しかし、そんな機会はいちども訪れず、名張まちなか再生委員会は解散してしまうことになった。
いまさら市長見解を求めてみたところで、その見解を受け取る組織が存在しない、ということになる。
だから、臨時総会では、現在活動しているまちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会とはなんの関係もない団体である、ということを再生委員会から名張市長に正式に、できれば文書のかたちで伝えておくことが必要ではないか、と述べるにとどめた。
ほかの委員からは、事務局にたいして、たとえば市議会でまちなか運営協議会のことを質問された場合にもちゃんと回答できるよう、つまり、名張まちなか再生委員会とは縁もゆかりもない団体が旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されている根拠はなにか、といった質問にもあわてふためくことなく回答できるよう、しっかり準備をしておきなさい、との要請も出された。
むろん、前エントリにも記したとおり、この問題をおれ個人が追及してゆくのは、いくらだって可能である。
名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用すれば、市長見解を引き出すことなどしごく容易であろう。
しかしなあ、これも前エントリに記したごとく、テロにはせんとゆうておるからなあ。
それに、いくら市長見解を引き出したところで、例によって例のごとく、人を唖然とさせずにはおかぬ噴飯ものの回答が寄せられるだけであろうしなあ。
噴飯ものというか、ほんと、名張市っていったいどうなってんの? と首をひねりつつ腰が抜けそうになる、みたいなことばっかだもんなあ。
ざっとした印象でいえば、きわめてレベルの低い思いつきでうわっつらだけとりつくろい、実際にはアンダーザテーブルで小ずるい癒着結託を進めている、というのが名張市政の実態ではないのか。
まちなか運営協議会の一件など、まさにアンダーザテーブルの癒着結託が表面化した端的な例だというしかない。
それに、「市長への手紙」といえば、これもまさしく噴飯もの、こんな笑えるものもあったしなあ。
要するに、ここ名張市においては癒着結託が常態である、ということであろう。
民間団体を公募するにあたって、特定の団体との調整をすっかり済ませてから、やおら一般に公表して募集をおこなう、などというばかな話が平然とまかり通っておるのである。
とにかく癒着結託が常態だから、行為の不公正さや不公平さを隠すことさえ忘れてしまう。
ジャスティスやフェアネスはどこにもない。
市民不在、癒着結託最優先。
それが名張市政の本質なのである。
よーし。
江戸のかたきを長崎で、というわけではないけれど、まちなか運営協議会がらみの一件はどうにも不完全燃焼に終わったという感が否めないから、名張市と乱歩蔵びらきの会との癒着結託をエンジン全開で叩いてやることにするか。
いやいや、いかんいかん。
なにしろ、テロにはせんとゆうておるのだからなあ。
しかし、漫才にはせん、とはゆうておらんぞ。
地域雑誌「伊賀百筆」に寄稿する漫才は、名張市役所のみなさんとの話し合いがえらく停滞しているせいで、その後まったく書き進めることができないでいるのだが、しかたないから路線をやや変更し、乱歩がらみの癒着結託をメインテーマにしてやるか。
テロにはせんが、漫才にはする、という寸法である。
けけけ。
そういえば、以前にも指摘したことだが、公募の対象となる民間団体に市職員が加わっていていいものかどうか、という問題もある。
これは、漫才がどうのこうのということはべつにしても、やたら主体性を放棄して協働とかいう名の無責任に身をゆだねてしまいがちな名張市にとって、ぜひとも明快な見解を示しておかねばならぬ問題であろう。
いや、しかしまあ、なにいってやったって理解はできんかもしれんのだが。
しかし、ほんと、どうしようかなあ。
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