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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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どーこーにーおとこーのー、ゆーめがあるー、ってかあ、とかなんとか歌いながら、きのう名張まちなか再生委員会総会の会場、名張市役所一階大会議室に到着したのは開会五分前のことであった。受付で資料を受け取る。

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大会議室のテーブルにバッグを置き、煙草を吸いに外へ出る。一本を灰にして、ふたたび着席。午後1時、開会。

まず結論を記しておく。はじめて出席した名張まちなか再生委員会の総会は、予想をうわまわる非常識に支配されていた。無政府状態といってもいいほどの放縦が場を占めていた。厳密に考えれば、総会と呼ぶことすらできないにちがいない。会合が総会の成立する要件を満たしておらず、それ以前にそもそも、委員会の規約に総会の要件がまったく規定されていないからである。総会ではなく、総会もどき、総会ごっこ、とでもいうしかあるまい。その一点からも容易に結論づけられるのは、名張まちなか再生委員会は合理的な根拠や普遍的な正当性を有さない組織であり、いってみれば地域社会の害虫でしかないということである。一日も早い解散が望まれると、あらためて確信した次第である。

午後1時、総会がはじまった。出席者は多くない。開会の時点で委員席に着いていたのは二十人に満たず、その正面に陣取った役員は十人ほど。委員席の横には来賓と参与の席があって、それぞれ六人がすわっている。参与をふくめて数えても、参加した委員会メンバーは三十数人ということになる。

ところで、名張まちなか再生委員会というのは、総勢何人の組織なのか。配付された総会資料で、アバウトなところを確認しておく。

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プロジェクト単位で計数する。

・歴史拠点整備プロジェクト………16人
・水辺整備プロジェクト……………09人
・交流拠点整備プロジェクト………13人
・生活拠点整備プロジェクト………06人
・歩行者空間整備プロジェクト……07人

プロジェクトだけで、総勢は五十一人。ほかに参与がいる。プロジェクト以外に、この日の総会で発展的解消が報告されたNPOなばり実行委員会があり、ほかに乱歩関連事業検討委員会やまちなか運営協議会もある。メンバーはプロジェクトと委員会ないしは協議会に重複して名を連ねているらしいから、かなり複雑である。

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そして、驚くべし。総会終了後、役員のひとりから聞きおよんだところでは、名張まちなか再生委員会の正確な人数はじつは不明なのだという。誰にもわからないのだという。委員名簿なるものが存在していないというのである。組織の基盤にかくも致命的な欠落を抱えながら、それでも総会が開催できてしまうのであるから、驚くなといわれても思いきり驚いてしまうではないか。それが名張まちなか再生委員会クオリティ、というしかない無茶苦茶ぶりである。いっそ面目躍如、というべきか。うっかり賞賛してしまいそうになる。

委員の総数が五十一人、総会開会時の出席委員が三十人であったと仮定する。ある議案が多数決で決せられることになり、十六対十四で承認されたとしても、そこには欠席している二十一人の意志は反映されていない。通常なら欠席委員は委任状を提出しているところなのだが、この委員会にはそんな制度はないという。 欠席二十一人の意志が反映されれば、十六対十四という投票結果はたやすくひっくり返ってしまう可能性もあるのだが、この委員会の辞書にはそんな可能性のことは記されていないらしい。まったくもって無茶苦茶である。要するに、名張まちなか再生委員会の総会からは、何かを正式に決定するための基本的な条件が欠落しているのである。総会もどき、総会ごっこ、と呼ぶゆえんである。

さて、開会後、まず委員長が挨拶し、つづいて来賓の挨拶があった。来賓はつぎの六人のみなさんである。

・名張市長
・名張市議会議長
・三重県議会議員
・三重県議会議員
・名張商工会議所副会頭
・名張市区長会長

そして、驚くべし。来賓のみなさん全員が、それぞれに挨拶をお述べになったのである。あれよあれよという暇もない。委員長もふくめれば総勢七人、先発全員安打のつるべ打ちであった。ダイナマイト打線の復活かとみまがう壮観であった。わけても出席者の眼を奪ったのは、県議会議員の先生おふたかたである。当方の知るかぎり、こうした会合におふたりで参加された場合には、どちらかおひとりが挨拶にお立ちになるのが通例である。その通例が破られ、県議おふたかたのおはなしを親しくお聞きすることができたのだから、県議フェチにとってはまさしく至福のひとときであっただろう。そんなフェチが存在しているとしての話であるが。

挨拶はさらにつづいた。ひたすらつづいた。えんえんとつづいた。牛のよだれのごとくつづいた。

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うちつづく挨拶のなかで語られているのは、たしかに名張のまちのことであった。だがそれは、現実の名張とは微妙にことなる、どこか別世界にある名張のことのようでもあった。その名張のまちでは、人と人とが支え合い、生活者が能動的主体的に地域の課題に取り組んで、行政はその側面的支援を手がけているという。名張の顔なるものがつくられつつあり、都市内分権なるものも進みつつあるという。そのまちにはこれからも予算がつぎこまれ、やなせ宿という公共施設を拠点に歴史と文化を軸とした素晴らしいまちづくりがスタートするのだという。

それはやはり、現実の名張ではない、もうひとつの名張のことではないのか。現実の名張市に住み、名張まちなかの現状を知り、名張まちなか再生プランの、とりわけやなせ宿の問題に直面している人間には、そうした話はしらじらしさや苦々しさをおぼえさせるものでしかないのではないか。そんなことを考えているうちに、つるべ打ちの来賓挨拶がようやく終わった。大会議室に漂っているどこか割り切れないような空気をかきわけて、来賓のみなさんは足並みそろえてご退席である。あとには、もぬけの殻となった来賓席が残された。

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来賓のみなさん、それぞれに公務ご繁多ということなのであろう。

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さて、かくも贅沢な来賓挨拶の椀飯振舞は、いったい何を目的としていたのであろうか。おそらくは時間稼ぎであろう。挨拶の時間はできるだけ長く、議事の時間はできるだけ短く、という関係者の苦肉の策であったのだろう。もとよりこれは、なんの根拠もない憶測である。憶測というよりは邪推である。

だが、名張まちなか再生委員会発足以来の三年間、委員会がくりひろげるインチキやペテンをいやというほど見聞きしてきた身としては、こうした邪推に走るのも無理からぬ話なのであるとの弁明を記しておきたい。インチキやペテン、その場しのぎのごまかしや人を人とも思わぬまやかし、そういったものはすでに名張まちなか再生委員会の体質となり、骨肉と化しているとしか思えぬのである。

名張まちなか再生委員会はいまやもう、ほとんど石原産業なんだもんなあ、と思いあたり、いやいや、いくらなんでもそんなふうに決めつけてはいけない、もう少し他人にたいする信頼というものを回復しなければならない、邪推などはもってのほかの大禁物である、と思い返していたその総会の場で、あろうことかあるまいことか、名張まちなか再生委員会はまた新たなインチキの手口、驚くべきペテンの手並みを披露してくれたのであった。

あすにつづく。もう少し書きたいところだが、ゆうべのやけ酒がたたっているゆえここまでとする。
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