三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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再掲。
写真のあとは、テキストを問題にする。
案内板には、写真のキャプションを別にすれば、二種類のテキストをみることができる。白をバックに文章が配されたところである。タイトルがある。
・「ふるさと発見記」にみる名張の町
・〈「ふるさと発見記」要約〉
以上のふたつである。
前者を転載。
これは、名張市公式サイトにある乱歩の紹介ページにもとづいて、しごく適当なコピー&ペーストでしあげられた文章である。
名張市公式サイト:江戸川乱歩
意地の悪いことをいうようだが、アンダーラインを附したのは、コピー&ペーストではなく、執筆者が自分のことばで書いた文章である。だから、こなれが悪い。ほかの部分との一貫性や整合性に乱れが生じている。端的にいえば、へたな文章になっている。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。だいたいがこら、コピー&ペーストですませてしまおうというその根性が気にくわぬ。そこらのサイトから素材をみつけてくるのはいいけれど、それを自分なりに消化して文章にしようとは思わんのか。もしも思わんというのなら、そんな人間は税金つかった案内板の文章なんか書いてはいかんのではないか。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
つぎ。
以下、「ふるさと発見記」の抜粋が列挙されている。
まず、タイトルにおけることばの誤用を指摘しておく。「要約」とあるのは、少しおかしい。というか、完全なあやまりである。抜粋とか、引用とか、そういうことばが使用されているべきである。しかもこのタイトル、どうして山かっこでくくられているのか、意図がまったく不明なのであるが、その問題はあっさりスルーして、しっかし要約の意味もわかんねーのかよ、と嘆きつつ辞書へのリンク。
大辞泉:要約
大辞泉:抜粋
大辞泉:引用
ごらんのとおりである。要約とは「文章などの要点をとりまとめること」、抜粋とは「物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと」、引用とは「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること」である。「ふるさと発見記」の要約というのであれば、昭和何年の何月、乱歩がこれこれの用件で名張のまちを訪れ、こういうことがあってこういう人たちに会い、生家があった場所にも案内されましたとさ、といったものでなければならない。「ふるさと発見記」からフレーズを抜粋引用するだけでは、あいにく要約ということにはならないのである。
この点にかんしては昨年秋、名張まちなか再生委員会に協力する気などまったくないけれど、さりとて明らかな誤用を見過ごしにすることもできないから、委員会の事務局にきっちりと指摘しておいた。したがって、もしもこの図案がこのまま案内板になるのだとしても、要約ということばは訂正されているだろうと思っていたのだが、先日、目隠しをはずされた案内板をはじめてとくとうちながめ、そのまま生きているのを知ってびっくりした。まさに衝撃の事実である。まーったくあの委員会と来た日には、人の助言進言忠言にみごとに耳を貸さねーんだからな、とあらためて思い知らされた。きわめて首尾一貫した態度である、といえばいえよう。たいしたもんだ蛙のしょんべん、みあげたもんだ屋根屋のふんどし。
しかし、ことは名張まちなか再生委員会のレベルでは収まらない。案内板にしっかりクレジットされている「名張市・名張市教育委員会」にまで波及する。この両者はいったい何をしでかしたのか。そこらのメーカーでたとえるならば、食品であれ家電製品であれ、品質チェックをいっさいしないまま商品を市場に流通させたということなのではないか。案内板なのであるから、それを食べて食中毒を起こす人が出る心配はないであろう。電源をオンにしたとたんに火を噴いて、火災の原因になるといったこともないであろう。だが、無責任さにおいてはまったく同断ではないか。
「名張市・名張市教育委員会」はいったい何を考えているのか。というか、たまにはものを考えてみてくれんか。というか、ほんとにもういいかげんにしてくれんか。無策無能無責任な自治体が、おなじく無策無能無責任な市民と手を結んで、市民といったってごくごく少数の市民なのであるけれど、しかもこれはごくごく少数の特定の市民といったほうがいいのかもしれないけれど、協働だ委員会だと大騒ぎした結果がこれではないか。市民のひとりとして、もう恥ずかしくってたまんない。
とくにこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。あんたらには要約ということばの意味もわからんということになる。この名張市においてはそんな程度の連中が、あろうことか教育という重要事に携わってくれておるということになる。ここまでくるとはっきりいって、市民にたいする背信行為ですらあるのではないか。重箱の隅つっついて喜んでんじゃねーぞばーか、とか思ってんじゃねーぞばーか。重箱の隅というならまだいいけれど、名張市教育委員会という名の重箱、いやさ名張市という名の重箱の全体に、それはもうまんべんなく、市民にたいする背信行為ですらあるこうした無責任さが充満しているのではないか。
写真のあとは、テキストを問題にする。
案内板には、写真のキャプションを別にすれば、二種類のテキストをみることができる。白をバックに文章が配されたところである。タイトルがある。
・「ふるさと発見記」にみる名張の町
・〈「ふるさと発見記」要約〉
以上のふたつである。
前者を転載。
「ふるさと発見記」にみる名張の町
□江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、昭和27年(1952)9月、乱歩は選挙の応援演説を引き受けて名張に赴いています。 □そして、翌28年にこのときの様子をくわしく記し、発表された随筆が「ふるさと発見記」です。 □また、昭和27年の帰郷がきっかけになって、名張では江戸川乱歩生誕地碑の建立が企画され、かつて乱歩の生家があったところに石碑が建てられ、「江戸川乱歩生誕地」という文字のほかに、乱歩の書いた「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉が刻まれました。 □除幕式は昭和30年(1955)11月3日、乱歩夫妻の臨席のもと、盛大に催されました。 |
これは、名張市公式サイトにある乱歩の紹介ページにもとづいて、しごく適当なコピー&ペーストでしあげられた文章である。
名張市公式サイト:江戸川乱歩
意地の悪いことをいうようだが、アンダーラインを附したのは、コピー&ペーストではなく、執筆者が自分のことばで書いた文章である。だから、こなれが悪い。ほかの部分との一貫性や整合性に乱れが生じている。端的にいえば、へたな文章になっている。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。だいたいがこら、コピー&ペーストですませてしまおうというその根性が気にくわぬ。そこらのサイトから素材をみつけてくるのはいいけれど、それを自分なりに消化して文章にしようとは思わんのか。もしも思わんというのなら、そんな人間は税金つかった案内板の文章なんか書いてはいかんのではないか。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
つぎ。
〈「ふるさと発見記」要約〉
○名張の町そのものも美しい。四方を遠山にかこまれ、大火にあっていないと見えて、昔ながらの城下町の風情を残している。 ○京都風の丹塗格子の家も残っている。 |
以下、「ふるさと発見記」の抜粋が列挙されている。
まず、タイトルにおけることばの誤用を指摘しておく。「要約」とあるのは、少しおかしい。というか、完全なあやまりである。抜粋とか、引用とか、そういうことばが使用されているべきである。しかもこのタイトル、どうして山かっこでくくられているのか、意図がまったく不明なのであるが、その問題はあっさりスルーして、しっかし要約の意味もわかんねーのかよ、と嘆きつつ辞書へのリンク。
大辞泉:要約
大辞泉:抜粋
大辞泉:引用
ごらんのとおりである。要約とは「文章などの要点をとりまとめること」、抜粋とは「物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと」、引用とは「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること」である。「ふるさと発見記」の要約というのであれば、昭和何年の何月、乱歩がこれこれの用件で名張のまちを訪れ、こういうことがあってこういう人たちに会い、生家があった場所にも案内されましたとさ、といったものでなければならない。「ふるさと発見記」からフレーズを抜粋引用するだけでは、あいにく要約ということにはならないのである。
この点にかんしては昨年秋、名張まちなか再生委員会に協力する気などまったくないけれど、さりとて明らかな誤用を見過ごしにすることもできないから、委員会の事務局にきっちりと指摘しておいた。したがって、もしもこの図案がこのまま案内板になるのだとしても、要約ということばは訂正されているだろうと思っていたのだが、先日、目隠しをはずされた案内板をはじめてとくとうちながめ、そのまま生きているのを知ってびっくりした。まさに衝撃の事実である。まーったくあの委員会と来た日には、人の助言進言忠言にみごとに耳を貸さねーんだからな、とあらためて思い知らされた。きわめて首尾一貫した態度である、といえばいえよう。たいしたもんだ蛙のしょんべん、みあげたもんだ屋根屋のふんどし。
しかし、ことは名張まちなか再生委員会のレベルでは収まらない。案内板にしっかりクレジットされている「名張市・名張市教育委員会」にまで波及する。この両者はいったい何をしでかしたのか。そこらのメーカーでたとえるならば、食品であれ家電製品であれ、品質チェックをいっさいしないまま商品を市場に流通させたということなのではないか。案内板なのであるから、それを食べて食中毒を起こす人が出る心配はないであろう。電源をオンにしたとたんに火を噴いて、火災の原因になるといったこともないであろう。だが、無責任さにおいてはまったく同断ではないか。
「名張市・名張市教育委員会」はいったい何を考えているのか。というか、たまにはものを考えてみてくれんか。というか、ほんとにもういいかげんにしてくれんか。無策無能無責任な自治体が、おなじく無策無能無責任な市民と手を結んで、市民といったってごくごく少数の市民なのであるけれど、しかもこれはごくごく少数の特定の市民といったほうがいいのかもしれないけれど、協働だ委員会だと大騒ぎした結果がこれではないか。市民のひとりとして、もう恥ずかしくってたまんない。
とくにこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。あんたらには要約ということばの意味もわからんということになる。この名張市においてはそんな程度の連中が、あろうことか教育という重要事に携わってくれておるということになる。ここまでくるとはっきりいって、市民にたいする背信行為ですらあるのではないか。重箱の隅つっついて喜んでんじゃねーぞばーか、とか思ってんじゃねーぞばーか。重箱の隅というならまだいいけれど、名張市教育委員会という名の重箱、いやさ名張市という名の重箱の全体に、それはもうまんべんなく、市民にたいする背信行為ですらあるこうした無責任さが充満しているのではないか。
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