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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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4月2日、新年度の二日目である。

おととい、平成19・2007年度最後の日の江戸川乱歩生誕地碑広場予定地をながめてきた。桝田院第二病棟は取り壊され、むきだしになった地面に水たまりがひろがっていた。

20080402a.jpg

画面左にみえるのが生誕地碑。手前にあるのが新たに設置された案内板。接近して正面から撮影するとこうなる。

20080402b.jpg

おとといの時点ではこのとおり目隠しされていたのだが、新年度を迎えてお披露目されたのだろう。きのうの毎日新聞で報じられていた。

毎日新聞:観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)

名張まちなか再生事業の一環として、「公共サイン」とかいうもっともらしい名称で設置された案内板である。中学生諸君にはすまないが、生誕地碑広場に立てられる案内板の原案を一瞥する機会があったとき、中学生がつくった壁新聞みたいだとの感想を抱いたことは以前にも記した。

2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板

それにしても、案内板四基の設置費が849万0300円、毎日新聞によれば、これに「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)」をあわせると計1080万円の整備費を要したということなのだが、大枚をはたいたわりにはこの案内板、どうにもしょぼい印象である。

しょぼいしょぼくない以前の問題として、まだ更地に戻っただけでどんな整備もなされていない土地の一角に、はやばやと案内板だけがお目見えする結果となったおそまつさはいかがなものであろうか。いかがもたこがもあるものか。なーにばかなことやってんだ低能ども、というしかないではないかいな。

また近いうち、目隠しがはずされた案内板をあらためて撮影して、血も涙もない批判を加えることにしたい。なにしろこちとら、3月31日で名張市立図書館との縁が切れた身である。俗にいうところの、虎に翼を着けて放てり、みたいな状態なのである。容赦仮借もあらばこそ、ばんばんかましてやろうとぞ思う。とは思うのだが、あほらしくって何をいう気にもなれぬということになる可能性もないではない。というか、結構ある。

ついでながら記しておくと、これまでの十二年六か月、つまり平成7・1995年10月に名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託となって以来、ふりかえってみれば短くない期間にわたって名張市民から雇っていただけたこと、すなわち市民の血税から月ほぼ八万円の手当てをいただきながら乱歩にかんする仕事に携われたことは、得がたい幸福であったというほかない。市民各位にたいし、ここに心からなる謝意を表しておく次第である。
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