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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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協働はきょうもインチキだったの巻

「第4 監査委員の判断」のうちの、「2.監査の結果理由」のつづき。

   
平成17年3月には、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が「名張まちなか再生プラン」をとりまとめている。このプランでは、従来の市主導の一方的な計画推進手法ではなく、市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした。そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり、この委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきたことから、請求人の主張する市の意向がまったく反映されていないという主張には理由がないものと解するほかない。

あきれたものである。

名張市の監査委員は、行政の代弁者でしかないらしい。

このプランでは、従来の市主導の一方的な計画推進手法ではなく、市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした」とあるところは、まちなか再生に着手するにあたっての名張市の理念を、監査委員が紹介したものと理解できる。

だが、「委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきた」とあるところは、そうではない。

名張まちなか再生委員会が名張まちなか再生プランを具体化してきたプロセスを、監査委員がみずからの主観にもとづいて述べているのである。そしてここには、そのプロセスに対する肯定的評価がふくまれている。

しかし、今回の請求は、そのプロセスにおおいに問題があったことを指摘し、それにもとづいて名張市の責任を問うものである。

たとえば、まちなか再生に着手するにさいして名張市に根本的なあやまりがあったことを、参考資料として提出した「僕の住民監査請求」では、このように批判しておいた。

   
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」

監査委員は、こうした批判が存在することを、参考資料を読むことによって、知っていたはずである。それを知ったうえでなお、これまでのプロセスに肯定的評価を与えているのである。

実際のところ、名張まちなか再生委員会がたどってきた経過について、そしてその結果として立ちいたった現状について、多少なりとも知識のある人間から見解を求めたと仮定した場合、肯定的評価をくだす人間はほとんど存在しないものと思われる。

にもかかわらず、名張市監査委員は、そうした現実に眼をむけようとしない。

あきれたものである。

名張市の監査委員は、行政の代弁者でしかないらしい。

たとえうわべだけでも、いや、完全にうわべだけなのだが、てまえどもは中立中正で公平公正な監査委員でございます、という顔をしてしかるべき監査委員が、この監査結果通知書では、徹頭徹尾、われわれは行政の忠実な犬ですが何か? という顔をしている。

犬では困る。

ほんとに困るのだが、げんに犬なんだからしかたがない。

うーらのはッたけでポチがなくー、とか鼻歌のひとつもまじえつつ、吟味をさらに進めよう。

そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり」と、ポチはいう。

しらっぱくれてんじゃねーぞポチ。だーれが名張まちなか再生委員会の話をしてるってんだ。意図的な事実誤認もたいがいにしておけ。おまえだって「事実関係」にはこう書いておったではないか。

   
この中で(1)歴史拠点整備プロジェクトの柱として検討した「細川邸」の整備を起点として名張地区のまちなか全体の活性化を踏まえた事業を早期に実現するため、平成18年6月18日の平成18年度名張まちなか再生委員会総会において、実践的な組織として「(仮称)NPOなばり実行委員会」を設立するに至った。
さらに取り組みを進める中で、専門部会として「NPOなばり世話人会」、「NPOなばりマネジメント委員会」を立ち上げた。これは「細川邸」改修後は、公設民営方式を採用するという「名張まちなか再生プラン」での意向を継承することから、行政だけでなく地元組織や商工団体からも多数の参画を求め、整備後の管理運営に向け、円滑な移行を意図したものである。

わかるかポチ。名張まちなか再生委員会は、NPOなばり実行委員会ではない。両者はべつの組織である。さらにNPOなばり世話人会とかNPOなばりマネジメント委員会とかいうものまであるのだが、このふたつをNPOなばり実行委員会にふくめてしまうのはまあいいとしよう。

だが、通知書の「監査委員の判断」にいたって、名張まちなか再生委員会の名前だけを出し、NPOなばり実行委員会のことにいっさいふれなかったのは、あまりにもまずいぞポチ。ここ、重要。ポチはいっさい知らん顔してるけど、ここ、急所。

わかるかポチ。名張市は名張まちなか再生委員会ではない。同様に、名張まちなか再生委員会はNPOなばり実行委員会ではない。

そして、まえにも書いたとおり、今回の請求は「名張市と市が発足させた委員会や協議会、さらにはNPOとの関係性」を問うことを主眼としており、具体的には、「そこらのNPOの勝手な判断にもとづいて委託された研究に市民の税金を投じていいものかどうか」を問題にしている。

要するに、どうよこのなあなあ体質のずぶずぶ構造の癒着天国は、っつーことを問題にしてるわけなのだよ。ところがこの通知書は、そうした問題を「協働」という言葉によって正当化してしまい、しれっとこんなふうにいっているのである。

市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした。そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり、この委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきた」と、ポチがいっているのである。

こう書くことで、名張市の癒着体質のみならず、住民監査請求制度におけるみずからの癒着体質まで、ポチはすっかりあきらかにしてしまったのである。

うーらのはッたけでポチがなくー。

こらこらポチ。さっきから裏の畑で何を掘っているのかと思ったら、おまえ、墓穴を掘っていたのだな。

大笑いだよポチ。

しかし、まずいかもしれないな。

犬だのポチだのと、こんな失礼なことを書いておっては、さすがにまずいかもしれないな。

こんなことでは、全国の犬が怒ってしまうかもしれないではないか。

すまなんだな。全国の犬たちよ。全国のポチたちよ。

つつしんで詫びの言葉を述べたところで、疲れたっつーか、あほらしくなったっつーか、そんな感じになったので、つづきはあしたまた綴る。
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